私たちが一番最初に「諸行無常」という言葉と出会うのは、大抵「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」という平家物語の冒頭部分だと思います。
これは平家の栄耀栄華は続かなかったことを表しているものです。
この諸行無常という言葉は、仏教の言葉でお釈迦さまの教えです。「この世の全てのものに変わらないものはない」といった意味になります。
毎日毎日同じことの繰り返しをしながら私たちは生きているように感じるけれど、少しずつ何かしら徐々に変化しながら時は流れています。
苦しい状況に置かれている時は「諸行無常」はとてもありがたいことです。苦しい状況は変わっていずれは良くなるということですから。
だけど、今が幸せだと感じる時や今ある富を手放したくないと思う時、「諸行無常」など信じたくないと感じます。今幸せなこの瞬間も何年後、何十年後、あるいは何日か後には終わってしまうことも考えられる。今ある富や幸福がなくなりそうになった時、力づくでもこの良い状態を維持したいと思う。また、人や物を手放したくないと願う、これが「執着」だと思います。
執着は煩悩です。執着=悪ではなく、正しくは執着=苦しみです。執着するものが大きければ大きいほど人は苦しみます。
しかし私たちは人間であり人間である以上、煩悩はついて回ります。
だから人生は修行の場なんだと思います。煩悩を手放すために苦しむ修行の場。
人間として生きることは死ぬことよりも苦しいのです。死ぬ時に人は執着したもの、手放したくはなかったものを手放すことになります。苦しみから解放されるのです(死んでもなお執着を捨てられない方も中にはいるかもしれませんが)。死ぬ時にそれを悟るなんてやるせないことですね。
生きているうちに執着を手放すことができたなら、私たちは余計なことにとらわれず、本当に正しく物事を見ることができるようになると仏教ではいわれています。何かに執着していた時よりも、私たちの人生は良い方向に向かうということです。
信じられないような素晴らしい人生を送ることができるということも考えられます。是非とも生きているうちに悟ることができるようになりたいものです。その執着を捨てる第一歩となるのが、諸行無常を考えることだと思うのです。
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